はじめに
去年のクリスマス期間にシンガポールへの初海外一人旅を敢行しました。
当時はゴリゴリの就活生で、早期選考やら夏インターンやらで魂を削られまくっていました。
そのため、自分を癒すために、逃げるようにシンガポール*1へ渡航しました。
アドレナリン大放出の、最高の旅だったのですが、当時思ったことをまとめていきたいと感じたため、記事にしました。
※当時残したメモを元にまとめていますが、記憶が曖昧な部分もあります。
※歴史の解釈等で間違いがありましたが、遠慮なくご指摘いただけたらと思います。
旅行日程
いずれも航空会社はScootです。7kg以内に収めるのが大変でした。
訪れた場所
個人的には、シンガポール国立博物館、ホーカーズはシンガポール一人旅ではマストだと思いました。博物館ではシンガポールの歴史を概観でき、ホーカーズでは現地の生活の雰囲気を感じられました。また、海外旅行ではいつも行っている現地スーパー・モールでの物色もなかなか楽しかったです。
博物館では黒人の女性が受付をしてくださいましたが、機械トラブルで入館処理ができず時間を取ってしまったということで、特別に無料で入館させてくれました。一人旅でガチガチに緊張していた分、臨機応変な対応と優しさが沁みました。
クリスマス期間の一人旅であったため、クリぼっち(死語?)を感じないように、クリスマスイブにはチャイナタウン・リトルインディア・サルタンモスク周辺をうろうろしました。期待通り、ほとんどクリスマスを感じず、過ごしやすかったです。日本のように"恋人と過ごそう!"という圧を感じることは街中でもほとんどなかったです。
マーライオンは可愛かったです。大きさは噂通りでしたが、実物を見れたことで感動しました。
シンガポール国民は主に中華系、マレー系、インド系民族から構成されます。多民族国家というのにあまり馴染みがなく、実際に行くまでは正直想像がつきませんでした。
現地で衝撃を受けたのは、街を歩いていると、すれ違う民族集団の属性(人種)が急激に変わることでした。後に訪れたマレーシアでも似ていますが、多民族が一つの国としてうまくやっていくためには、棲み分けはある程度必要なのかもしれないなと思いました。
(イギリスの統治時代、異なる民族が団結しないように民族ごとに学校等を分けていたらしいですが、その名残もあるのかもしれません)
各民族が住む街ごとにモールが存在しましたが、出店企業や、広告の起用モデルが地域の人種に合わせていたのも面白かったです。
また、街の様子や人々の服装等から、民族ごとの経済格差もなんとなく感じられました。経済レベルは華人>インド系>マレー系らしいですが、インドは南インド周辺からの移民と近年の高度技術人材の平均を取っているのではないか、と思っています。
私が訪れた街中のローカルレストランでは、注文は基本的に中国語でした。英語も通じますが、中国語はもう少し喋れた方が都合が良いと思いました。ローカル英語、いわゆる"Singlish"は本当に聞き取りにくかったです。現地に住むならば、聞きづらい状況、スピードでの英語に慣れていく必要があるなと、感じました。
リトルインディアに行ったときは、よく人と目があったのが印象的でした。
日曜日はインド系出稼ぎ労働者の休みでかつ、クリスマス休暇期間であったため非常に人が多かったこと、そして東アジア系女性がその辺りを一人でうろつくのは珍しかったからのかもしれません。
シンガポールのチャイナタウンは「牛車水」と書くようです。由来は他の方のブログ記事*2にある以下の文章の通りです。
1821年頃、中国・厦門、福建から最初のジャンク船でやってきたのは全員男性で、今のテロック・アヤ(Telok Ayer)あたりに住みました。そして牛車でアンサンヒルとスプリングロードの井戸まで水を汲みに行っていたんです。それにちなんで、『牛车水(Niú chē shuǐ)』と呼ばれるようになりました。ほかの国のチャイナタウンのように『唐人街』と呼ばないのは、シンガポールは多民族国家で昔からマレー人、インド人も住んでいるから。
昔、福岡に住んでいたときに「唐人町」という地名があったのですが、昔中国人が多く住んでいたのかもしれないと知り、地名に残る歴史に面白さを感じました。
多くの人がご存知の通り、現代シンガポールは初代首相リー・クアンユー氏によって築かれた独裁的な国家体制で知られています。また、「実力主義社会」が広く浸透しているとされます。実際、旅行前に読んだ『シンガポールを知るための65章【第5版】』(田村慶子 著・編集)*3によると、シンガポールは実利主義(pragmatism)という思想を重んじる国だと紹介されています。
このような思想の背景としては、小国でかつ地理的に他国からの干渉を受けやすい故に、多くの意見に揺れていては、海外からの介入を許してしまい国として成り立たなくなることがあるようです。
この思想は、国民の生活レベルにも落とし込まれており、例えば社会福祉の精神としては"魚を与えるのではなく釣り方を教えよ(授人以魚 不如授人以漁)"という老子の言葉を思わせるような、すべての国民がシンガポール社会に貢献できるような学び・技術を習得するよう支援する制度があるようです。
うろ覚えですが、Lee Kuan Yew氏が言った"痩せて元気に働くか、死ぬか"という思想を体現しています。
やり直したいとき、学びたいときにサポートを受けられるのは非常に魅力的だなと思いつつ、何らかの事情で動けなくなったときなどは非常に生きづらい国だなと思いました。ホーカーズでティッシュ売りをしていた、かなり年配の方々を見て少し心が痛みました。(どこの国でも似た光景はありますが)
国の礎を築いた Lee kuan yewの存在はやはりかなり大きく、シンガポール国立博物館では広い空間を使って、彼の功績を紹介していました。シンガポール独立時の会見映像は、涙なしでは見られませんでした。
高度に発展した、実力主義の国家ですが、自国民だけでなく周辺諸国からの出稼ぎ民の存在は欠かせないという状況を感じさせる経験もしました。カトン地域は観光地として有名であるため、一見華やかに見えました。しかし、少し歩いたところにあるローカルモールでは、他国からの出稼ぎのために女性が人材派遣窓口前にたくさん座っていました。このような対照的な光景は非常に興味深かったです。
日本との関係
日本人として、学校教育等で大日本帝国時代の歴史は理解しているつもりでしたが、「他の国で語られている加害者としての大日本帝国」というのは、今回初めて出会うものであり刺激的でした。
シンガポール国立博物館では、戦争の加害者としての日本について非常に厳しく語られていました。日本の統治時代の3年間がハイライトされており、展示の仕方も、内容も、非常に恐ろしかったです。
シンガポールでは当時から多民族が存在していましたが、日中戦争が行われていたこともあり、特に日本軍の中華系民族への扱いが酷かったようです。
後日別記事でもまとめますが、マレーシアの国立博物館でも同様の展示がありました。こちらの展示の中では、日中戦争時代の記述は比較的あっさりとしていました。華人の国であるシンガポールの方が、当時の記憶をより恐ろしいものと捉えているようです。
現地で他に驚いたのは、日系企業の多さです。チャンギ空港内にMUJIやDONKIという文字を見たときは、思わず声を上げてしまいました。店内には、日本と同様の商品もあったため、日本の味や文化が現地の人々にも受けていると思うと、少し嬉しかったです。
その他
マリーナベイサンズ、ガーデンバイザベイ等に行く予定があるならチケットを予約しておいた方が良いと思います。一人旅&予約なしだったため、今回はいずれも中には入りませんでした。
チャンギ空港では、保安検査場が搭乗口の手前にあり、手荷物検査が搭乗直前に行われました。飲み物を買えずに給水機のみ提供されている場合もあるため、空の容器を持参するべきでした。当時知らなかった私は買ったばかりのペットボトルを没収されてしまい、飲み物なしの7時間のフライトに耐えねばなりませんでした。(マレーシアとほぼ同じ※後日別記事でまとめます)
Katong地域には西洋風建築がいくつも見られました。熱帯の植物と、西洋風建築という組み合わせはあまり見慣れないもので、何とも言えない情緒がありました。
日本では12/26になったら、クリスマスムードは一気に過ぎ去り年末年始ムードになります。しかし、シンガポールでは"Christmas Holidays"に年末年始も含まれるようで、12/27でも"Merry Christmas"と挨拶されることもありました。日本以外は割とこういう感じなのかもしれませんね。
MRTのアナウンスは駅名を言うだけで、日本のように丁寧なアナウンスはありませんでした。また、降車時に"happy happy"と言っているように聞こえましたが、実際は"be careful"というニュアンスの"hati hati"でした。
現地で出会った印象的な人々
日傘に入ってきたマレー系女子学生
日中、日差しがとても強かったので日傘を差していたら、突然10代くらいの女性が日傘の中に入ってきました。スリかと警戒したら、ただ
- 日傘にマレー系の女性が入ってきた
- ただ人懐っこいだけ?
石をぶつけてきたマレー系の男性
街中を歩いていたとき、大通りで後頭部に何かが当たったので振り向きました。
すると、50〜60代くらいの男性から「鳥が木を落としたよ。あなたにぶつかりました。ラッキーだね!もし良ければ一緒に散歩しない?」みたいなことを言われてしつこく追いかけられました。意図は謎ですが、怪しさMAXだったので無視し続けました。
ショッピングモールで怪しい勧誘をしてきた中華系の女性
中華系の人が多いモールで少し怖い経験をしました。
ピアス屋さんで商品を見ていたら、40〜50代くらいの女性におそらくマレー語か広東語で突然耳打ちされるように話しかけられました。(※マンダリンか英語だと分かるため消去法)
呆然としていたら、私がとぼけていると思ったようでもう一度何かを言われました。ですが、本当に分からなかったので首を傾げていたら、こちらを睨みつつどこかに消えていきました。
犯罪への勧誘だったのか、ただの雑談やアドバイスだったのかよくわかりません。似た経験がある方がいたら、教えていただきたいです(汗)
ドミトリー同室マレー系女性たち
ヒジャブを身につけているマレー系の人が多かったため、
マレーシアから旅行に来ていたのかもしれません。(シンガポールでは、ヒジャブを着けている人はそんなに多くなかった気がします)すれ違う時にはにこやかに挨拶をしてくれたので嬉しかったです。マレーシア人はニコニコしている人が多い気がします。
まとめ
シンガポール旅行は、気候、文化的多様性、そして国としての勢いを肌で感じることができる魅力的な経験でした。多くの学びと発見があり、シンガポールという国に多くの側面で魅了されました。
治安も良く、英語も通じ、情報も多く発信されているため、一人旅でも困ることはほぼありませんでした。
初一人海外旅行には断然おすすめです。
ホーカーズで食べた美食写真